英語教育の今後は? 英語教室GP

小田切 寛

2014年06月08日 23:36

こんにちは。梅雨に入り稀にみる風雨に見舞われていますが、それがもたらす被害が心配です。まずは自分自身と身近にいる人達の安全に注意しながらこの時期を過ごして行きましょう。でもその反面、雨に濡れた青紫の紫陽花を偶然目にしたりすると幸せになれるのもこの時期ならではかもしれませんね。

これまでこのブログでは英語を言葉として位置づけし、総合的に学ぶことで運用力をつけることの重要性についてお話することが度々ありましたが、前回はこれを更に発展させて教育の目的や方向性を他の学習項目(数学・科学・社会・国語等)と関連付け、学際的アプローチを基盤にした教育の枠組み作りにまで発展さて考えてみました。しかし、これを精緻で現実的なモデルに仕上げる前に、もう少し英語そのもの学び方について考え直さなければならない事があります。

当教室の大人の生徒さんの大半が、分詞構文、仮定法など用語に聞き覚えはあるがそれが実際の英語という言語の中でどう表現され、どんなルールや経緯に基づいて考え出されてきたかを認識している方は、実際のところ極めて少ないです。例えば、こちらが「分詞構文でご存知ですか。」とお尋ねすると「アー、分詞構文ですね、知っています。でもそれって英語ではどんな表現でしたっけ。」といったお答えが戻ってくることがしばしばです。ここで、文法用語を多用して、それをベースに指導することの虚しさともいえる結果に直面します。ですから用語は使い方次第であることを忘れず、その過度な使用から生じる弊害に配慮し、指導する側がそれを使用することの有用性と無価値な側面両方を認識して指導にあたらなければならないのです。

前回お話した学際的な視野に立った英語教育を現実の教育現場の中で実現する以前の問題として、英語を身に付ける上で不可欠な要素を確認しておくことがまずは大切です。

義務教育の中での英語学習は、文法、単語、読解、リスニング、少ないですが会話、といったほぼ横の繋がりのない授業設定で実施されることが多いと思います。また大学生、社会人になっても、TOEIC等のスコアを向上させることが求められ、語彙を単独で記憶したり、文法事項、リスニングを別々の教材を使って学習することが多いですね。かく言う自分自身も米国の大学院に入るためにTOEFLやGREの勉強を机にしがみついて、一日8時間以上も対策教材に費やした経験があります。

こうした努力は決して無駄にはならないでしょうが、結果として、言葉としての英語を身に付けることにどれだけ役立つのでしょうか。何故、文法を勉強するのか、なぜ単語を覚えるのか、しっかりと到達点を明確にして英語は教えられているのでしょうか。またTOEICのスコアを向上させることと実務をどう関連付けて、企業は社員にその必要性を説明し求めているのでしょうか。

言葉は、聞いたり話したり、読んだり書いたりする力が、総合的に身についていなければ真の意味において役にも立ちません。縦割り方式で英語学習をしていても横の繋がりを考えて最終目標をしっかりと認識して学んでいかなければ、費やした時間は0になってしまいます。とにかくあらゆる環境を利用して、学習者が受け身ではなく自らが言語を使う場面を設けることが何よりも優先されなければならないでしょう。もしそれを実際に形にしていくとするならば…について次回はお話します。

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